AiRE DESIGN STUDIO

建築のデザイン、人の所作



先日つくばに行く機会があり、磯崎新氏が設計した「つくばセンタービル」や、谷口吉生氏の「つくばカピオ」を見学した。

つくばカピオは体育館・シアターを含む公共施設で、その規模や門型フレームのデザインは上野の法隆寺宝物館と同等である。

この建築には法隆寺宝物館に見られる水盤が無いのだが、その水空間の有無が両者の空間の決定的な違いを生んでいるように思う。


つくばカピオはそれが含む機能ゆえどうしても大きいヴォリュームとなってしまうのだが、建築の印象がヒューマンスケールなのは、素材の扱いや目地など細かいディティールが考え抜かれているからだ。


逆に言えば、ディティールが考えられているからこそ、建築全体が良く見えるのだとも言える。


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建築を巡りながら、このことは人にも言えることなのではないかと気づいた。


その人のあいさつの仕方や佇まいなど、小さな所作の一つ一つが人となりを表すのだと思う。


1年程前に吉川栄治著の『宮本武蔵』(全8巻)を呼んで、感銘を受けたのはまさにこの点だ。


第二巻の下りに以下のような場面がある。


剣術の修行のために全国を渡り歩く若武者武蔵。
そんな中、彼は時の剣の大家柳生石舟斎と会うべく京に上る。

武蔵は屋敷に活けてある一厘の花を手に取り、その枝の切り口の見事さに感じ入る。
すでに比類ない剣の強さを得ていた武蔵だが、同じように自分で試しても切り口はそのようにはならない。

その花は石舟斎が活けたものであったが、武蔵はその一端を通して己の非力さを感じるのである。

このシーンは『宮本武蔵』を原作とする『バカボンド』にも描かれている。


石舟斎が活けた花を、それを知らない人が見てもその技の見事さには気づかない。武蔵だからこそその技の巧みさに気づけたという見方もできる。



人の切り口としての所作、を考えると、なんだか常に身が引き締まる気がする。
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by goro0124 | 2009-01-18 19:12 | 建築