コペンハーゲンからマドリッドへ、そしてゲルニカ
ヨーロッパの地を始めて踏んでから早数日。
なかなかネットが繋がらない環境が続いたのでまとめての報告。
web世界と遮断された日常はある意味幸せなことでもあるのだけれど。
□4/15
スペインは日本からの直行便が無いため、乗継のためにコペンハーゲンに一泊。
コペンハーゲンはまず公共の福祉の充実ぶりに驚いた。
空港がとても美しい。
床がフローリングで、足の裏からしっかりと木の持つ温かさが伝わってくる。
バスの運行も良く、デザインがしっかりとされている。
宿は先輩が紹介してくれたゲストハウスで、デンマークの建築家ヤコブセンが初期に設計した住宅。作られてから70年以上も経つのにもかかわらず古さは感じさせず、室内には安らぎの静けさが満ちている。ホストは日本人のデザインナーファミリーで、温かい会話とデンマーク家庭料理に舌鼓を打つ。気づけば(得意の?)福山雅治を歌ってしまっている。
おかげで初対面なんて感じさせない楽しい雰囲気だった。まさに“芸は身を助く”。
そんな幸せの時間の中、時差ボケについていけず早めの就寝。日本との時差が約5時間あるから、(夜10時で夜中の3時)ノックダウン。
【コペンの空港1】
【コペンの空港1】
【ヤコブセンの住宅】
【ヤコブセンの住宅、エントランス】
□4/16
朝一の飛行機に乗るために空港へ。同じSAS(航空会社)の便なのに、日本→コペン、コペン→マドリッドの機内サービスがまったくことなるのに気づく。ヨーロッパ国内便は機内食の大半に資金がかかるのだ。日本の客室サービスは本当に素晴らしい。
約3時間のフライトの後、念願のスペインへ。
着いてからまず戸惑うのは、電車の乗り方が分らないこと。土地勘もない、行くべき駅名さえ知らない、切符の買い方もわからない、と切符売り場で悶々と挌闘。
中心市街地に着いてからも、スペイン語と宿を探すのにまた格闘、第二ラウンド。
目当てのユースはすでに満室で、重い荷物を引きずりながら町をさ迷う。
なんとか宿を確保したものの、体はすでに疲れている。
けれども夕方なのにまだ昼間と輝きが変わらない太陽に励まされ、めげずに市内を散策。写真はマヨール広場。
この時期、スペインの街は夜の9時頃まで陽の光に包まれる。一日が長い分、活動が広がるのが嬉しい。
【スペイン・マドリッド、マヨール広場】
【マヨール広場に通じる道】
□4/17
スペインの3大美術館と言われるプラド美術館、ティッセン・ボルネミッサ美術館、ソフィア王妃芸術センター、そしてヘルツォーク&ドムーロン設計の文化フォーラムを巡る。どれもマドリッドにあり、15分も歩けばそれぞれに行けてしまう。
共通チケットを買っても15ユーロもしないから、誰もが気軽に見ることができる。
(H&Dのフォーラムは無料)
プラド美術館はルーブルに並ぶヨーロッパでも有数の美術館であり、ゴヤ、エル・グレコ
などの著作を含む約3000作品が展示されていると言う。あまりにも、広い。
まともに見たら半日以上かかってしまうので早足に見て回る。
ティッセン美術館はスペイン建築界の巨匠、ラファエル・モネオの設計。スペインは改修のプロジェクトが多く、既存の建物を残しながら新しい機能を付加するデザインが、非常に巧みだ。
美術館を巡りながら印象に残るのは、小学生ぐらいの子供たちと先生が、一枚の絵を前にして授業をしている姿だ。先生が絵の前にたち、この絵は何を表しているか、イマジネーションとは何かなどを子供たちに質問する。子供たちは床に座りながら、元気一杯に手を挙げる。
美術館が、賑やかなのだ。
どの作品の前でも人々がその絵についての意見を交わしている。
これは静かにしなければならない日本の美術館とは大きく違う。こういう美術の鑑賞の仕方は望ましいことだと思った。スペインは文化の街だとつくづく感じる。
そしてピカソ、ゲルニカ。
ソフィア美術館にはダリ、ミロ、ピカソの作品があり、ゲルニカの原画がある。
ゲルニカはスペイン北部のバスク地方にある街で、スペイン内乱下の1937年、フランコ将軍を支援するナチス・ドイツにより空爆が行われた。当時の人口7000人のうち3000人が亡くなるという世界で初めての無差別空爆であったという。
同年のパリ万国博覧会の作品を依頼されていたピカソは、祖国の悲報を知るやすぐに壁画の制作に取り掛かる。
人込みの中、僕はゲルニカを前にして動けなくなった。
ピカソが感じた怒り、悲しみ、人々の恐怖、絶望が、一枚のキャンバスから押し寄せる。
作品を見ながら、涙がとめどなくあふれてきた。号泣だった。
もちろん鑑賞者はたくさんいる。けれども、衝動は抑えられない。
絵を見て泣くなんて初めてのことだった。感動したということでは無い。作者の想いの強さが自分を飲み込み、訴え、自然と涙が出てきたのだ。
次々と鑑賞者が変わる中で、僕はゲルニカの前で呆然と立ち尽くしていた。
スペインには、スペイン建築が好きなことや、人々の気さくな雰囲気に惹かれて来たのだが、スペインに来た本当の理由が分かった気がした。
『そうか、自分はこの絵を見るために来たのだ。』
約一か月半という短期間で巨大なキャンバスに全てを詰め込んだピカソ。描かれた白黒の世界。作品がこれほどまでに作者の想いを伝えるのだということを知った。それは、一人の表現者として建築をつくる自分への、大きな示唆だった。
ソフィア美術館の作品はまだ半分も観ていなかったが、ゲルニカを眼にした後では何も観る気がせず、早々とユースに引き揚げた。
―taku―
by goro0124
| 2009-04-20 22:19
| etc