カッフェな日々の、人権裁判
最近、カフェで時間を過ごすことが多い。
多いどころか行かない日は無く、1日に二回行く日すらあるくらいだ。
もはや自分の生活の一部になっている。
バイトの前か後には必ず行くし、大学に行く場合も、片道2時間半の工程が長すぎ
るので乗り換え駅で一休みする。
カフェではBill Evansを聴きながら本を読み、パソコンがあればネットをし、1日の始まりなら予定を立て、終わりならその日を振り返る。
良く行くカフェのひとつ、池袋のエクセルシオールカフェの店内中央には大きな円テーブルがある。
17人がけの席なのだが、ふと気が付くと僕以外の全てが女性だった。そう、16人全員が。
この事実に気付いてるのは僕だけだろうか?
電車の中でも、7人がけのシートに全員メガネの人が座っていたり、7人中5人ぐらいが一連に本を並んで読んだりしていると、なんだか嬉しくなってしまう。
まるで自分だけが世界の秘密を知ってしまったかのように。
テーブルでは食事をしている女性、本を読んでいる女性、テキストを広げて勉強している女
性、16人の女性がいろいろな事をしながらカフェでの一時を過ごしている。
16:1。
この瞬間、間違い無く自分の存在は圧倒的な違和感に包まれている。
まるで自分が、女性の人権を蔑ろにしたために裁判にかけられるみたいに。
僕には1%の勝ち目もない。「ごめんなさい、悪気はなかったんです」と僕は素直に自分の過ちを認めてしまうだろう。例え自分に非がなくとも。
店内を見渡しても8割は女性のお客さんだ。どうして女の人はこんなにカフェが好きなんだろう。
意識が法廷の世界に飛び立つ片すみで、
自分がこの席を立つと次に座るのは女性だろうか、それとも男性だろうか?
を考えてみる。
次が女性ならば、最後のピースがはめられることになる。
大きなテーブルを囲む17人の女性たち。
もしも彼女たちが同時に世界の平和を祈ったら、戦争でさえなくなってしまう気がする。
あるいは次もまた男性なら、新しい裁判が始まる。
「裁判長、次の被告の入廷です」
―taku―
by goro0124
| 2009-01-19 21:36
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