建築にできること
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この一年間やることに追われて書くという行為がおろそかになっていた。反省。
忙しいときだからこそ見えなくなるものが多くなる。そんな時だからこそ、書くことで見えてくることがある。
昨日は千葉大学卒業設計展「千葉大展」の講評会があった。
ゲストは外部から大野先生、塚本先生、曽我部先生、千葉大から栗生先生、岡田先生。
自分の作品の講評で痛切したのが、「建築に何ができるのだろう?」ということ。
自分の作品は難民をテーマとしたもので、それに対して建築を作るものだった。
講評では本当にその建築が必要なのか?と指摘された。
難民のような社会的弱者に必要なのは、建築が第一義ではないのかもしれない。それは気付いていた。
だけど建築にできることを挑戦してみたかった。
講評で指摘されたことは、まさに自分の矛盾を突いていた。
人を感動させるようないい建築、空間を作りたいと思う。
社会的弱者の傍に立つような社会的活動をしてみたいとも思う。
しかしそれらは必ずしも両立しない。
建築家としての成功を夢見ていないといえば嘘になる。
建築に何ができるか?これは自分にとって最も深いテーマになるのだろう。
この一年間やることに追われて書くという行為がおろそかになっていた。反省。
忙しいときだからこそ見えなくなるものが多くなる。そんな時だからこそ、書くことで見えてくることがある。
昨日は千葉大学卒業設計展「千葉大展」の講評会があった。
ゲストは外部から大野先生、塚本先生、曽我部先生、千葉大から栗生先生、岡田先生。
自分の作品の講評で痛切したのが、「建築に何ができるのだろう?」ということ。
自分の作品は難民をテーマとしたもので、それに対して建築を作るものだった。
講評では本当にその建築が必要なのか?と指摘された。
難民のような社会的弱者に必要なのは、建築が第一義ではないのかもしれない。それは気付いていた。
だけど建築にできることを挑戦してみたかった。
講評で指摘されたことは、まさに自分の矛盾を突いていた。
人を感動させるようないい建築、空間を作りたいと思う。
社会的弱者の傍に立つような社会的活動をしてみたいとも思う。
しかしそれらは必ずしも両立しない。
建築家としての成功を夢見ていないといえば嘘になる。
建築に何ができるか?これは自分にとって最も深いテーマになるのだろう。
by goro0124
| 2007-05-21 02:53
| 建築